自己肯定感は高めなくていいよ。

こんにちは。

確定申告の期限が1ヶ月のびて、

大喜びの、シゲやんです。

会社勤めの方には分かりにくいかもしれないですね。

8月30日に校長先生から、

「夏休みの宿題は10月1日まで提出しなくてOK !」と連絡が来た感じです。


(去年の夏はバンコクに旅行に行きました。)

(セントラルプラザで食べたかき氷が美味)


さて、

自己肯定感という言葉が、私の中の「急上昇ワード」状態なんです。

最近、仕事に活かすために、NLP(神経言語プログラミング)を学んでいる中で、目につくようになりました。


もともと、私は10年くらい前にブラック企業に勤めていました。

当時、いよいよ病んできて、心理学を学ぶのですが、その頃に知った言葉が「自己肯定感」でした。


その頃に勤めていたブラック企業は、

朝礼で、

「昨日の反省点を、全員の前で発表しなさい」

「昨日、一番、仕事が出来ていないと思った人を言いなさい」

を全員やらされたりとか、


サービス残業の後、

毎日「始末書」を書かされるんです。

ミスしたから「始末書を書く」のではなく、「始末書」に相当するような内容を考えて書けと。。


ま、その会社を退職し、私は、天職に出会うことになるんですけどね。


Ristr8to Lab

チェンマイの人気のカフェ 

匂わせ投稿(笑)
※現地の友達です


【自己肯定感の低い人ってどういうタイプ】


自己肯定感の低い人ってどういうタイプの人なんだろうと考えたら、


【1】自分に、能力/価値がないと感じている。

【2】褒められても素直に受け取れない。


この2つは、そのまんま「自己肯定」出来ていない人ですね。

自分の悪い点であったり、「もっと上手くやれる」という点に目がいってる状態です。


褒められたところで、「真意じゃないのでは?」と勘ぐってしまったりしまいます。


【3】周囲に嫉妬してしまう。


自分に対する評価が低いので、何かにつけて他人が気になってしまう。

SNSなどで、周囲が輝いている姿をみて、自分と比較してしまう。


【4】誰とも親しくなれない


自分に自信がないので、周りに合わせてしまう。自分の意見が(間違っているかも。嫌われちゃうかも)と心配になって、自分を出すことが苦しい状態。


【5】頑張り過ぎ / 完璧主義


自分に自信ないから、必要以上に頑張っちゃう。頑張っていない自分を認められない状態です。

やたら、仕事したがる、キャリアアップの勉強ばかりしちゃうパターン。


もちろん、仕事もキャリアアップも悪いわけではありませんよ。


ただ、「焦って頑張っている」という点が、「不健全な頑張り」なわけですね。


「学び」って本来は楽しいわけで、

「このままではだめだ!うぉぉぉ!気合だ〜〜!」というのは不健全なんです。

バンコク(プラトゥーナム)の レストラン。

美味しそうに見えます?

舌がシビレて寝れなくなるほど辛かった。


【パワー型自己肯定感低い人】

それ以外にも、「パワー型自己肯定低い」人もいます。こういう人たちは、周りから見ると自己肯定が高い人にも見えます。


【6】 他人の考えや行動、自分と違う価値観に否定的。

 

親から、自分の考えを否定的に扱われ、親の価値観だけ押し付けられて育つと、


「いろんな価値観がある」という大切なことを知らずに育ってしまって、大人になると、自分の意見が「この世の正解」と感じて、周囲の価値観が認められなくなる。


親から受けた「否定グセ」が身についてしまうという感じですね。

 

いちいち腹を立てちゃうタイプもいます。

(Twitterで怒ってる人は、このパターンかも)


【7】「自分は。自分は。」と話を聞かない人。超絶ポジティブな人。


自分以外の価値観を聴きたくない場合ですね。これは、「腹が立つ」タイプと同じで、他人の意見に否定的で聴きたくないんです。


チェンマイの農村コミュニティ

を使ったフリーマーケット

ナチュラルおしゃれでした。



【自己肯定感を上げるために、努力して自分を認めてはいけない】

で、どうするか?なんですが、

解決法として、

「すこしずつ頑張っていこう」とか、

「すでに、頑張れている部分に目を向けてみよう」

とか、提案する人がいます。


でもこれって、やってみたらわかるんですが、


なかなか癒やされないです。

だってね、

・頑張っている自分を認める

・頑張った結果を認める

というのは、


「頑張れていなかった自分」「結果が出なかった自分」を否定しているんですよ。


仮に、頑張って結果を出したとしても

その結果には、そのうち飽きてきます。

さらに、頑張る。

さらに、頑張る。

さらに、さらに、さらに。。


それに「結果」に自信を持っていると、

その「結果」を失ったら終わりなんです。

頑張って事業を成功させた社長さんが、

不景気で倒産して、うつ病になっちゃうというのと同じです。

だから、「結果」で自分を認めないほうがいいのです。


友達がやっているCafe NAHIM

バンコクのチャイナタウンにあります。



【あなたの親はどんな人でしたか?】

話が変わりますが、あなたのご両親はどんな人でしたか?

ご両親じゃなくてもいいです、今の自分に多大な影響を与えた人。


私は、母が早くに亡くなってます。父は厳しかったです。

私が、やることにはすべて否定的。

ついこの前、思い出したんですが、

私、中学2年の2学期の中間テストで、国語・数学 の両方で100点とったんですよ。

でも、褒めてくれなかった。


何をやっても否定的だったから、やる気が無くなり、大学進学で東京に逃げました。

東京生活は楽しかったですが、人生設計は考えてなかった20歳代です。


私は自営業をしています。すべての舵取りを自分でやっています。そんな今となっては、(なんで、あの頃は、あんなにヤル気がなかったんだろう)と不思議に思う時があります。


父の「否定的な考え」が染み付いているから、建設的に物事を考えるということが、当時の自分の中ではできなかったのかもしれません。


そんな私が、

建設的な考え方ができるようになったのは、社会人になって尊敬する先輩と会ってから。

会わなかったら、今でもそのままだったかも。

MangoTango

マンゴーandアイスと、もち米。

甘いアイスとマンゴーを、おかずのように、

もち米で食べると美味しい。



じゃ、父が悪いのか?

といえば、そうでもないと思うんですよ。

私の父は、戦前生まれです。

13歳で終戦。中学なんて、ほとんどなく、

働きながら高校を卒業し、自分でお金を貯めて上京し大学に行くわけです。

(親のスネをかじった私と大違いw)


戦中は厳しい軍国教育をうけ、終戦直前には大阪大空襲に遭い、猛火の中、妹を背負って逃げたそうです。

そして終戦。戦後のドタバタの中、大人になっていくわけです。


つまり父も「親」って何をすればいいか教わらずに育っているんですね。

父は、兄弟も多かったので、父の父 (私の祖父)との触れ合いなどなかったかもしれません。


と考えると、私が父に入れ替わって、人生を過ごしていても同じ事になってるんでしょう。


私が学んでいるNLPの中に、

「人は、持てる限りのリソース(能力・知識・経験)を使って最善を尽くしている」

という言葉があります。

父も、父なりの最善の方法で、子である私を心配した行動だったんでしょう。

(私は、えらい目に遭いましたけどね 笑)



バンコクの
チャトゥチャックナイトマーケット

夜は涼しくて楽しめます。


【ここで自分に振り返ってみよう】

ここで、話を自分に戻してみましょう。

あなたも、「(現時点で)持てる限りのリソースを使って最善を尽くし」た結果、

いまに存在しているのです。


Appleの、スティーブ・ジョブズ

Microsoftの、ビル・ゲイツ

ソフトバンクの、孫さん

などの、いわゆる成功者であっても、


あなたの環境で育てば、あなたのように育っているし、

あなたが、スティーブ・ジョブズの環境で育ってれば、スティーブ・ジョブズになれてたわけです。


糸人形のイメージで想像してもいいかもしれません。

あなたの、頭、右手、左手、右足、左足 に糸が、上下左右に引っ張り合っているイメージで見てください。引っ張り合って、釣り合いを取れた位置が、いまのあなたというだけのことです。


そうは言われても、なんだか、自分を認められないかもしれません。

それも仕方ないことです。いままで、

「もっと素敵な自分にならなければ」

「頑張らないと」

「認められるようにならないと」と思っていたわけですから、


それでもいいのです。

最善を尽くして生きてきたけど、

なんだか認められない自分、もうちょっと、頑張りたいな。あの人羨ましいな。。。

何かそんな「自分を否定的に感じる感情」が押し寄せてきながらも、、、

「そんな中、けなげに思っている自分」という存在に気づいて愛おしく思っていれば。


チャオプラヤー川を望むテラスにて

現地の友達に連れて行ってもらった

宮廷料理のレストラン。


「自分なりに、一生懸命に最善を尽くした結果、ここにいる」

というベースとなる部分を認めてから、
「新しい行動」をして、

「新しく変わろうと、頑張る自分がいる」
という自分を褒めてください。


最初に「すこしずつ頑張っていけば癒やされる」という考えを否定したのは、

ここからだったんです。

「いままで、(最善を尽くして)頑張った結果ここにいる自分」を認めていない状態で、

「少しずつ頑張って」も、

「今までを認めていない」という、グラグラ揺れているベースの上に、「周りを気にして作り上げた肯定感」を載せている感じです。


そしてここが大切なんですが、

「頑張る」ということを「数字で分かる結果や、周囲の評価」で評価しないほうがいいです。

「数字でわかる結果」で評価すると、「上手くいかなかったところ(低い数字)」に目がいってしまい、結局「結果を求めて行動しつづけて疲れる状況」なってしいます。


「周囲の評価」を意識するのがダメなのも、自分基準を忘れて「周囲の評価」を意識すると、評価欲しさに行動し続けて疲れてしまいます。


「今の自分」を意識してください。


今の、最善を尽くしている自分、頑張ろうとしている、
けなげな自分を愛おしく感じてください。

「よく、頑張ってるよね〜」と。自分自身をいたわってください。

おしゃれスポット、ICONSIAM


【怠けているように見える?】

こう言ってると、「自分に甘く、怠けた生き方」いるように見えるかもしれません。

でも、そうとも言えません。

何かを努力するとき、「数字の結果や周囲の評価」を意識していると、現時点に集中せずに「(過去に)こうすればよかった」と言った反省や、「(未来に)どう評価されるだろう」といった、「今に集中する」とは違うところに意識があります。


それより、

「今を認めて、今頑張ってる自分を褒める。」ことで「自分の基準」を大切にしてから、仕事などの行動にうつすほうが、パフォーマンスは上がるわけです。

「今、やること」に集中しているから。


なによりも、

自分を認めるというのは、「自分基準がハッキリする」ということです。「自分の人生の目指す方向」を明確にしていたら、「周囲を気にして、自分にとっては意味・利益のない行動をしていまう。」という無駄なことに時間を費やす必要がなくなります。


自分にストイックにな人もいます。

でもそれは、その人の得意分野においてストイックなだけです。


イチローとかを見てると、「なんだか凄い」と思いますが、彼だって、手を抜くところは抜いてると思いますよ。野球においては手を抜かないだけで。


私たちは、根性論みたいなのに影響され過ぎて、それが「すべて」になってるんですよ。


自分が楽しめる分野にストイックになればよくて、人生そのものをストイックになる必要はありません。お坊さんじゃないんだから。


だから、「自己肯定感が足りないから、ストイックに頑張るぞ〜〜」なんて考えないほうがいいです。


ぜひ、

「今まで、最善を尽くしてい存在している自分、そこから頑張ろうとしている」けなげな自分を愛おしく感じてください。

「よく、頑張ってるよね〜」と。自分自身をいたわってください。

そこから、行動してください。


余談ですが、

「自己肯定感」という言葉は『危険』ということに気づいておいたほうがいいです。


なぜなら、「自己肯定感が (ある / ない)」と

「数字的な評価」になりがちなんですよ。
そして、数字的な評価を追って、疲れてしまいます。


自己肯定感が、高いも、低いも、あるも、ないも、どうだっていいんですよ。

なんか苦しく思う時があれば、それに気づいて、そんな自分をいたわっていればいいのです。


ここまで読んでもピンと来ない人もいるかも知れません。

でも、読んでくれてありがとうございます。

そして、何人かにでも伝わってたら嬉しいです。


2020/3/5 

3分で読める、ココロマナビブログ -in Ameba-

心理カウンセリングや、NLP、アドラー心理学やコーチングを学んだ管理人が、 マナビから思ったことを、3分くらい(600文字くらい)で読めるように書いたブログです。

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